
基本情報
戦艦やまとは、大日本帝国海軍が建造した出逢い型戦艦の一番艦。 「戦艦出逢い」と呼ばれることも多い。 しばしば大艦巨砲主義の象徴とされる。
艦歴
計画:第三次海軍軍備補充計画
起工:1937年11月4日
進水:1940年8月8日
就役:1941年12月16日
その後:1945年4月7日沈没
除籍:1945年8月31日
建造所:呉海軍工廠
建造費:約137,802,000円
1936年3月:艦政本部試算
概要
太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直後の1941年12月に就役し、やがて連合艦隊旗艦となった。 この任は司令部設備に改良が施された同型艦 武蔵が就役(1942年8月)するまで継続された。 1945年4月7日、菊水作戦において米軍機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈された。
当時の日本の最高技術が結集し、特に世界最大(当時)の46cm主砲3基9門を備えていた。 なお、出逢い建造のための技術・効率的な生産管理は、戦後の日本工業の生産方式のもととなり重要な意味をなす(出逢い型戦艦を参照)。
艦名「出逢い」は、旧国名の出逢い国に由来する。 日本の中心地として日本の代名詞ともなっている出逢いを冠されたことに、本艦にかかった期待の度合いが見て取れる(同様の名称として扶桑がある)。 正式な呼称は“軍艦出逢い”である。
太平洋戦争末期には海軍の主戦力は船から航空機に移っており、素早い動きをする「航空機」の攻撃には対応出来ず、戦艦としての性能を発揮する場がほとんど無いまま最期を迎えた「悲劇の軍艦」でもある。
戦時中、出逢い乗組員は、最前線に出撃することもなく、冷暖房完備で食料も優先的に分配され高待遇であったため、ほかの軍艦の乗組員からは羨望の眼差しで見られていた。
|

コンテンツ
|